じわりと”Conjunto Michaquino Osaka Jam” が近付いて来たので今一度告知を!
この機会にぜひ関西方面の方々に聴きにきていただきたいのですが、FBやブログの僕のフォロワーでも“Conjunto MIchaquino”って何?という方も多いかと。ちょっと長くなるけれど今回のライヴへの想いを!興味ある方、以下読んで頂けたら嬉しいです。
“Conjunto
Michaquino”(コンフント・ミチャキーノ)は「倫明のコンボ」という意味。その活動は82〜84年のおよそ2年半程だったろうか。丁度松岡直也
グループに参加して、そのグループが解散するまでの時期とおよほタイミングが一緒。当時日本では誰も演っていなかったラテンジャズ、アフロキューバン的ア
ンサンブルをライヴ展開。
当初のメンバーは山口卓也(tb) 森村献(pf) 石川清澄(key) 高橋ゲタ夫(b) 僕とウィリー長崎、木村誠(perc.) Martin Willweber(dr)。
演奏はまだ未熟だったけれど、とにかくアンサンブル自体が新鮮で、毎回のライヴが楽しかった。しかし都内ではメンバーよりお客さんの数が少ないなんてこともしばしば。
どういう経緯だったか良く覚えていないのだが、83年の6月と11月、84年の10月に関西ツアーを敢行している。いつも京都、大阪、神戸の3箇所、しかも神戸のチキンジョージは2days。何故かお客さんの動員は東京のそれとは比べものにならないくらい盛況だった!
当時、そのいきさつを松岡さんに話したところ、「そうだろ?ラテンは関西でウケるんだよ」と。松岡さんの話によれば、昔(松岡さんが20歳の頃、銀座、赤
坂辺りでラテンバンド率いて頑張っていた時期)、大阪には"大阪キューバンボーイズ"ってのがあって、めちゃファンキーだったと。とにかくミュージシャン
皆がフレンドリーで、一緒に演奏するのが凄く楽しかった、と話していたのを思い出す。
しかし松岡グループ解散後、僕は今一度84年晩秋から再びN.Y.へ修行の旅へ…。メンバーの木村誠さんがバンド名をRumba
Mamaと変えてその活動を存続、僕の帰国後もしばらく参加していた記憶があるけれど、いつ消滅してしまったのかはあまりよく覚えていない。とにかく僕が
今で言うJ-Popの仕事を沢山する前の出来事で、80年代後半からは次第にラテンから離れていき、”Conjunto
Michaquino“は自分にとっても過去の存在となっていく。
しかし35年の時を経て、2年程前から、自分のルーツと言ってもいい70年代の音楽のエネルギーを思い返すべく“Conjunto
Michaquino”を復活させた。演奏の仕方、アンサンブルの楽しみを今一度見直して、都内では毎回充実したライヴを重ねて来たが、やはり一度関西で
ライヴがしてみたいと。いつものメンバーを率いてツアーをしたいところだが、果たして聴きに来てくれる人が居るのかと足踏みしているところへ、今回、
ちょっとしたキッカケで大阪でのJamが実現。大阪中心に素敵なミュージシャン達に集って頂き”Conjunto
Michaquino”的ライヴが出来る事に相成り、このところ都内で演奏している曲を揃えて挑みます。