2016年4月26日火曜日

芽吹き

ここ南房総ではそろそろ夏野菜の作付けが始まっている。先週一週間家をあけていた自分は、今その準備にあたふたしている。写真は丸ナスを種から育苗している様子。直径1mmにも満たない種から新たな命の芽吹きを見るのはちょっと感動的である。

しかし、畑の収穫はいつも順調というわけでなく、この時期穫れるソラマメが今年はほとんど壊滅状態。ここ何年か必ずある程度の収穫があったのだが、これは 初めての失敗。苗の成育が鈍いだけでなく、花が咲くと同時にアブラムシに徹底的にやられた。近所の畑を見るとやはり同じ状態の場所も多い。原因が特定でき ないのが悩ましい。



ところで今も、熊本の大地が揺れ続けている。「天災は忘れた頃に・・・」と言ってもあまりに突然の出来事に事実さえ受け止められないのが実情だろう。離れたこの場所から応援できることは僅かばかりのことで心苦しいかぎりだが、この1mmに満たない種の芽吹きに元気をもらって、せめて震災に遭った人達がいつもの生活 に一日でも早く戻れるよう祈るばかりである。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし」は鴨長明の「方丈記」の冒頭。自分も歳を重ねたせいか、この無常の心境がよく理解できるようになった。

都会を離れて田舎暮らしを始めてはや10年。自然に囲まれた環境で畑仕事などしていると、その豊かさだけでなく、時にその猛威にもさらされる。年々巨大化する台風は、吹きっさらしの我が家など吹き飛ばしてしまうだろうと思うようになったし、少子高齢化のモデルのような田舎に住む事で「死生観」を見つめるようになった。すると鴨長明の「方丈記」がじんわり心にしみてくるのである。ソラマメの不出来など小さな出来事でしかない。

2 件のコメント:

  1. 郷里熊本の壊れていく様は、涙なくして見てはいられませんでした。幸い、親戚、友人達も怪我もなく無事でいてくれたことがせめてもの救いです。今の自分にできることは、僅かばかりの義援金と、日常を淡々と維持していくことと思えます。

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    1. 熊本ご出身だったのですね。僕はこういう仕事をしてきたので日本中の土地を歩いてきました。中でも熊本は大好きな場所、南房総に並ぶ移住の候補地でもありました。なので本当にこの震災には驚きました。友達もいて、みな無事だったのですがこの震災から全ての人が早く復興できる事を祈るばかりです。まさに「無常」を感じさせられる出来事でした。

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