2018年10月9日火曜日

"Conjunto Michaquino"リスタートライヴ第4弾!!


ちょうどあと1ヶ月後、11月9日のライヴ告知を!

"Conjunto Michaquino"リスタートライヴ第4弾!
@キーストンクラブ東京 
Open : 18:30 ~ Start : 19:30 ~
CHARGE:予約¥3,500 / 当日¥4,000
Tel : 03-6721-1723

MEMBER : 赤木りえ fl. 野口茜 pf. 澁谷和利 b. 
      大儀見元perc. 田中倫明 perc.

このラテンユニットをリスタートさせてちょうど1年。今回はパーカッションの相方に大儀見元氏を迎えてのライヴということもあって、今一度リスタートした想いや当時このバンドで何がやりたかったのか?を自分の中で再確認してみる。

59年生まれの自分が物心ついて音楽に没頭し始めたのが70年代。特にアメリカの音楽に傾倒していくが、世界的にもあらゆるジャンルの音楽がエネルギーに満ち溢れていたと思う。高校生でドラムを始めたが、コンガの音に魅せられてパーカッショニストに。それは主にアメリカンロックやソウルミュージックに展開するパーカッションの存在に興味をそそられたからだ。ダニーハサウェイのライヴが当時のバイブルだったか。その頃はまだラテンを良く知らず、サンタナに感銘を受けるも自分でやる音楽ではないだろ?と思っていたくらい。

それが一枚のレコード、Hector Lavoe(エクトル・ラボー)の"Comedia"をキッカケにN.Y.サルサにのめり込む。ひたすら70年代サルサを聴きまくった。そこへTito Puete率いるLatin Percussion Jazz Ensembleの来日(79年)公演を聴いてノックアウト!「こりゃ、本場で本物見るしかないな」とN.Y.へ何度か足を運んだのが80年代初頭。偶然にも"Comedia"でティンバレスを叩いてる故スティーヴ・ベリオス氏と巡り会い師事。もう演奏の仕事はしていたものの、この時改めてラテンリズムの基礎を学んだのである。

80年代に入って、N.Y.サルサは既に失速していると言われていたが、まだまだ70年代の勢いを持ったライヴ演奏をたくさん聴くことができた。この感動を持ち帰って自分なりに形にしようと立ち上げたのが"Conjunto Michaquino"である。と同時期に松岡直也グループに参加するも、まだまだ未熟でいずれも自分の納得できる演奏には届かず、ただがむしゃらにやっていたという想い出しかない。

で、ここへ来てリスタートした理由は、やはり当時よりも少しは音楽を俯瞰できるようになった自分が、敢えてあの70年代のN.Y.サルサのパワーにこだわって、今だから表現できるサウンドがあるんじゃないか?と思ったからである。

サルサはキューバ音楽をルーツとるすが、70年代の混沌としたN.Y.の中でしか生まれなかった特異な文化だと思う。アメリカ社会の時代的背景に影響されながらも、それは妖しさ、ヤバさ、センティミエント、あくまでも大都会に生きるラティーノの人間味溢れるエネルギーが、週末のクラブで毎夜パワフルな音楽となって渦巻いていたのだ。余談だが奇しくもファニアオールスターズの”ライヴアットザチーター"とダニーハサウェイのライヴは同年(71年)同時期の録音である。

そしてそのN.Y.サルサに魅了され80年代半ばにOrquesta De La Luzを立ち上げ、90年にはN.Y.サルサシーンにデヴュー、サルサ界に新風を巻き起こした張本人こと、大儀見元氏が今回参加してくれるのがなにより嬉 しい。果たしてどんな展開が待っているのか、今から楽しみである。

2018年10月3日水曜日

訃報、Jerry Gonzalez 氏逝く! !

昨晩深夜に帰宅、前夜の台風の暴風で眠れなかったこともあってか、演奏後にしては随分身体が疲れているなと思っていると、FBでJerry Gonzalez氏の訃報を知って一気にぐったり。ライヴの記事をアップするも、心穏やかではいられずなかなか眠れなかった。

今朝目が覚めても、この事がすぐに頭をよぎってなんだか呆然と一日を過ごしてしまった感じ。既に多くのミュージシャン仲間がこの訃報をアップしているのだが、N.Y.でのいろんな想い出が走馬灯のごとく今も頭の中を駆け巡っている。以下はその想い出話なので、興味の無い方スルーして下さい。

彼と親交の深かった日本のミュージシャンも多いと思うが、それはもう30年以上前の事。まだ彼のFort Apache Band が大編成だった頃の話、84〜85年にかけて僕は半年程N.Y.に滞在していて、この間、何度彼の家に通ったことだろう?「ヘイ、ミーチャ(僕の事をそう 呼んでいた)、いつでもいいから電話して遊びに来いよ」とこれは毎回別れ際の挨拶。

僕は夕方から寿司バーでバイトしていたので、電話して昼過ぎに遊びに行くことが多かったが、必ず手みやげにハイネケン半ダースと新品のカセットテープ一本 持っていく。ゆったりと音楽談義から始まって、ルームメイトのコレクションでもある多分一万枚以上はあるだろうレコードを、次から次へとかけてそれを一緒 に聴いているだけの時間でもあるのだが、例えば「今日はモンゴ・サンタマリアを聴こうか」と言って、およそ自分の知らないモンゴの古〜いレコードから年代 を追って順々にその名演を聴かせてくれる、しかも一曲づつ持って行ったカセットテープに録音しながら、そのエピソードを話してくれるのだ。で、帰りが けに「Jerry Collects Mongo Santamaria」のベスト盤となったテープを持たされるという具合。そのテープが今でも手元に何本もあるが、全て僕の宝物である。まる で"Jerry Latin Jazz Music 塾"とでも言おうか、持って行くハイネケンは授業料?カセットテープは教材?という感じだった。しかしラテンよりもジャズを聴いていた時間の方が多くて、 サルサのミュージシャンでこれだけジャズを知っている(聴いている)人はいるのだろうかと思ったもの。

ギグがある時は楽器運びの手伝いもしたし、今想うとN.Y.滞在中一番一緒にいた時間が長いミュージシャンだったのかな。よく「Conjunto Libre で演奏するのは楽しいけれど、クラブに出演するのに何でおそろいのスーツを来て演奏しなきゃならないんだ?」と愚痴ってみたり、他のサルサミュージシャン とは一線を画す存在で、それを怖いと感じる人もいたようだが、僕ら日本人のミュージシャンには隔てなく接してくれて、とにかく自由で懐が広い人という印 象。たまに家に遊びに行って帰りが深夜になると、「この辺(ブロンクス、ヤンキースタジアム付近)、夜は物騒だがら…」と地下鉄駅まで送ってくれたり、はたして自分は他人とこんなに大らかに優しく付き合えるんだろうか?と思わされたものである。

当時の写真をひっくり返すと、いつも一対一で会っていたせいかツーショットの写真は見
つからなかったが、この写真はクリスマス近く、Jerryの家に居る とそこへベースのJoe Santiago氏が遊びに来て、ちょっと音出そうぜ!となったワンシーン! 確かクリフォード・ブラウンの曲ばかり演奏したかな。(背中から自分が緊張している様子が伺える)

2005年だったか、Fort Apache Bandでブルーノート東京に来日した際に新宿のホテルの部屋を訪れると、いつもこれを持って歩いているのか?と思うほどのスピーカシステムが部屋にあっ て、まるで彼の家のリビングに居るかのごとく、持って来たCDを片っ端から聴かせてくれたっけなぁ。これが彼に会う最後の機会だったんだが。

その後スペインに活動拠点を移してからは新しいCDを聴くくらいで、すっかりご無沙汰していた。新しい映像を探したのだがこれは2014年のもの。さすがに歳を重ねた感じが伺えるが、スペインでの活躍を垣間見る事ができる。フラメンコシーンとも交流があったはずだが、やはりスペインでも彼流のラテンジャズ に尽きたんだな。
https://www.youtube.com/watch…
とにかく長く会っていなかったので、突然の訃報に驚くばかり。ひたすら冥福を祈るのみだが、いまだ信じられない…。

2018年10月2日火曜日

ROMANTICA QUATRO meets 野口茜 終了!

約半年ぶりになる "Romantica Quatro" 台風一過のライヴ! 台風の影響でキャンセルがあったものの、多くのお客さんに足を運んでいただいた。

今回は初めてのピアノとのコラボ。野口茜ちゃんをゲストに迎えて織りなすサウンドは、イメージに限りなく近い展開でとても楽しい演奏となった。いつになくオーディエンスの方々の反応も熱く、この編成がレギュラーになってもいいのかな?なんて思いがよぎる。いつか実現させたい"Romantica"とラテンユニット”Conjunto Michaquino"を融合させた"オルケスタ"への一歩を踏み出した感じ。

しかしライヴはその場限りの出来事、演奏はひたすら楽しく、お客さんとそれを共有できるのは至福の時間だが、それを文章にしたところで音楽も空気感も伝わらない。1人でも多くの人に伝えるべく毎回のライヴを充実させて、しぶとくやり続けるしかないのだが…。

いつも僕の音楽に付き合ってくれるメンバー達、そして今夜演奏を聴きに足を運んでくれた皆様、ありがとうございました。また次回をお楽しみに!!