2014年1月31日金曜日

フィルムドラマティーク Vol.3 「恋のエチュード」

2014年、1月もすでに終わろうとしている。今月最後にフィルムドラマティーク第三弾を。

ドイツ、スペインの監督作品を紹介してきたので、第三弾はフランスの監督「フランソワ・トリュフォー」を取り上げてみる。フランス映画には好きな監督が多いのだが、まあこのコンテンツに期限がある訳でもなく、暫くぶりに見たくなった映画がトリュフォーの作品だったという感じ。紹介したい作品は「恋のエチュード」。

トリュフォーはヌーベルバーグの旗手的なイメージもあるが、もともとは映画評論家で、実質的なデヴューは1959年作「大人は判ってくれない」、これが大ヒットした。僕の生まれた年の作品である。後にカンヌ映画祭を強烈に批判することでヌーベルバーグの仲間から疎遠になってしまう。84年、52歳にガンで急逝。僕が映画館のロードショーで初めて見た作品は81年の「隣の女」である。トリュフォーには二十を超える作品があるが、とにかく恋愛映画が多い。

僕が見たトリュフォーの映画は十作品くらいだろうか?その中でも自分の中で強く印象に残るのが、61年作「突然炎のごとく」とこの71年作「恋のエチュード」である。このニ作品、実はどちらも原作者がアンリ・ピエール・ロシェで、トリュフォーはロシェを崇拝して付き合いもあったらしい。しかもロシェにはこの2作しか著作がないのである。

ストーリーの特徴は「突然炎のごとく」では1人の女性が2人の男性を愛するというもの、「恋のエチュード」では1人の男性が2人の女性を愛するという似て非なるテーマである。「突然炎のごとく」は興行的も大成功を収め、まさにトリュフォーの代表作と言っていい内容。しかし「恋のエチュード」は興行的に大失敗。映画館側から編集の仕直しまで要求され、実際いくつかのシーンをカットして上映されたというのだ。僕は興行的成功と映画の内容は必ずしも比例しないと思うし、なんと言ってもこの映画が最もトリュフォーらしい作品のひとつであり、素晴らしい内容だと思うのである。

しかしトリュフォーはこの映画の失敗がかなりショックだったという。そして亡くなる前に今一度「恋のエチュード」を編集し直して完全版を残していることを思うと、この映画に対する思い込みがいかに強かったかが伺えるのではないか。

内容はやはり見ていただくしかない。最初にこの映画をリバイバルロードショーで見たのが二十代後半、手紙のやり取りで動く心の描写や、赤裸裸な恋愛の映像表現に胸がキュンキュンしまくったものだが、今この歳になって落ち着いて見返してみると、とにかく美しい映像を綴りながらも、あくまで生々しい人間模様を表現しようとするトリュフォーのセンスに感動を覚えるのであった。是非多くの人に見て欲しいと思う映画である。

トリュフォーの映画にもうひとつ好きな作品がある。それは「アメリカの夜」(73年)である。「事の次第」同様、映画監督が映画を制作するというテーマであり、トリュフォー自身が監督役で出演している。タイトル「アメリカの夜」の原題は「Day for Night」で、ハリウッド映画で夜のシーンを撮影する際、特殊なフィルターを使って昼間に撮影される事からとったタイトルで、映画の中でも昼間に夜のシーンを撮影する場面があったり、他にも特殊撮影を取り入れたり、俳優やスタッフとのやりとり等、トリュフォーが映画をこよなく愛する姿勢がよく現れている素晴らしい映画だ。

「アメリカの夜」の主演女優は007シリーズにも出演したジャクリーン・ヴィゼットだったり、トリュフォーの著書にヒッチコックと共著した「映画術」という本があったり、あのスピルバーグ監督の「未知との遭遇」に科学者の役で出演もしている事など、ハリウッドに対する想いが強かったことや、ハリウッドで活躍する映画監督達からも尊敬、崇拝される存在だったのだろう。もっと長生きしていたら、その後どんな凄い映画を残しただろうかと想像すると、映画人として短過ぎる生涯が残念でならない。

2014年1月20日月曜日

Romantica Live 急遽決定!

ちょうど一ヶ月後、2月20日(木曜日)、中目黒「楽屋」にてRomantica Live やります!

今回は昨年10月に行ったライヴと同じメンバーで。
パリに留学中、バンドネオンの早川くんが一時帰国のタイミングに、なんと他のメンバーもお店のスケジュールも奇跡的に合って急遽ライヴやることに。

何ヶ月も前からメンバー、お店のスケジュールを摺り合わせても実現しない場合もよくあるのだが、今回は約1ヶ月前に決定するという稀なケース。しかし、こういうチャンスは意外と自然と巡ってくるもので、運命的と言えば大げさだが、なるべくしてなっているのだと思えて、今から音を出すのが楽しみである。

田中倫明(Perc.)

早川純(Bandoneon)

梶原順(Guitar)

橋本歩(Cello)


OPEN / 18:00
START / 19:30~& 21:00~

Music Charge : ¥ 3,000.-

2014年1月17日金曜日

フィルムドラマティーク第二弾「ミツバチのささやき」

映画ネタを記事にしようと企てた新コンテンツ。スローペースながら冬場はいろいろと映画を見たいと思う自分だが、その第二弾にもってきたのは昨年秋のRomanticaのライヴでもちょっとだけ触れたスペインの映画監督、ビクトル・エリセ。彼の作品「ミツバチのささやき」が今回の主題。

スペインはバスク地方出身のビクトル・エリセ監督。この作品が1973年。この後1982年に「エル・スール」、1992年に「マルメロの陽光」を発表。10年に一作しか撮らないと言われた監督だが、その後2002年、2012年と複数監督によるオムニバス作品を撮っているだけで、長編の作品わずか3作のみ。年齢は73歳である。

この3作しかない長編作品、どの作品もなんとも味わい深いものばかり。僕はリアルタイムでロードショーされた「エル・スール」をきかっけにこの監督を知ったのだが、最初の長編作品「ミツバチのささやき」はなんとも印象的な作品である。もちろん当時リバイバルロードショーされ、映画館で何度か見た作品である。

スペインと言えば乾いた空気に灼熱の太陽と、その光りと陰が織り成す芸術、文化が象徴的だが、ビクトル・エリセの作品は雨や曇りの空が全体を覆って、しっとりとした質感が特徴的である。この「ミツバチのささやき」の舞台はスペイン北部カスティーリャ地方、スペイン内戦の終わる1940年頃の設定だが、スペイン内戦後の国政を微妙に批判もしている。映画がリリースされた年代を含めスペインの内政に関して詳しく書くとキリがないので、その辺は調べるなりちょっと勉強してほしい。Romanticaの「Pablo X」に描いたスペインの歴史情勢と重なる部分も大きい。

で、内容はやはり見てもらわない限り感じてもらえないので、あくまでオススメ映画としておこう。

主人公の少女アナの感受性に、誰もが子供時代に感じ、心に思い描いた微妙な事象にオーバーラップさせて共感できるはずだ。というか、もし彼女の感じている事に共感を覚えないとしたら、子供時代の微妙な心の動きを忘れてしまったつまらない大人になってしまっているのだと少なからず焦るべきだ。ビクトル・エリセ監督の映画はいずれもこの微妙な心理を描いている。「エル・スール」もこの点で共通する描写が見事である。どちらがオススメかは甲乙つけがたいので、是非こちらも見ていただきたい作品である。

ただ、いずれも映画を見終わったあと、全てが明瞭に解決され、スッキリ気持ちよく映画館を出てこれるハッピーエンドな映画ではないので悪しからず。だからと言って、ドカンと重た〜い映画でもない。ただ自分が普段の生活で失いかけた感性、忘れかけた何かを思い出させてくれ、考えさせてくれる素晴らしい映画であり、スペインの歴史、内政を知ればまたその意味合いも深く感じることができるだろう。

僕が思うヨーロッパ映画の特徴、ハリウッド映画との大きな違いは、あくまで日常が舞台となる事だと思う。時代背景はそれぞれ異なるとしても、日常における人々の微妙な心理描写が主題で、映画というものがあくまでフィクション(もちろんドキュメンタリー映画というのもあるが)だとしても、身近で現実的 な人間と人間の間に揺らぐ心の動きを描くことで、国籍、人種を超えて誰しも人間として物事をどう感じるかをテーマにするヨーロッパ映画、古い日本映画がヨーロッパでウケるのも同じ様な要素を多く持っているからだと思う。

2014年1月13日月曜日

真空管の響き

この正月、我が家の2階にセットしてあるステレオのアンプの調子が悪く、以前から所有していた真空管アンプに繋ぎ替えた。ここでのシステムはCDとDVDの再生ができればよいと、構成はCD/DVDプレイヤーのアウトプットからこの真空管のパワーアンプに直結、そのままスピーカーへ繋がるというシンプルなもの。音楽だけでなく、映画もこのシステムで見る。

この真空管アンプ、80年代半ばに友人から3万円で譲り受けたもので、メーカーはわからず、多分自作されたアンプと思われる。トランスは全てTANGO製でなかなかしっかり作られている。

当時はメディアもレコードからCDへ移行し、録音もデジタル技術がどんどん進歩していて、音楽もシャープなリズムにより複雑なアレンジが流行っていた頃で、音楽を聴く機材もデジタルサウンドに呼応すべく様変わりしていく時代。真空管アンプは半ば懐古趣味的に手に入れ、マイルス・デイヴィスのプレステージ時代の作品などジャズやラテンの古い音源を聴く時に繋いでみたりしていた。しかし一時的に使っていただけで、ずっと持ち続けていたものの物置の片隅に眠りっぱなしだった。

真空管アンプはFETのものより、マイルドで優しい音がするというのが一般的な評価だが、確かに音の解像度は低いかもしれないが、楽器同士の音のつながりが独特だと思う。このアンプ、出力はわずか3Wと小さいが能率のいいスピーカーと組み合わせればしっかり音量も稼げる。僕らの世代は音楽がアナログからデジタルへ移行する時代(音楽だけではないが)を過ごしているので、何もかもデジタルでとなるといささか抵抗がある。まあ僕は特にアナログ志向が強いかも。いまだにメインの音響機器は30年近く前の機材で、レコードも再生できるようにセットアップしてあるし。

が、この歳になって冷静に考えてみると、はたして目をつぶって鳴っている音が真空管なのかFETなのか聞き分けられる自身はハッキリ言って無い。というのも音楽の現場で長く耳を酷使してきたこともあって、難聴気味であるだけでなく、耳鳴りも激しい。耳鳴りと同じ周波数の音はなかなか聞き取りにくく、それはかなり高い周波数の音なのだが、お湯が沸いてシューッ!といってる音とか、タイマーが出すアラーム音とか、すぐ横で「ほら、アラーム鳴ってるじゃん?」と言われても、まるっきり聞こえないなんてことがある。

さあ、そうなると、友達とCDなど聴いていて「これっていい音だね~」なんて簡単に言えなくなってくる訳だ。自分にとって「いい音」の基準はいつも持ってはいるが、これが他の人と共有できるかは定かでない。そんなんで真空管とFETの音を聴き比べられるのか?となる。自分の中でハッキリ言えるのは真空管の音は「耳に優しい(刺激が少ない)」ということくらいだろうか。

ただ、不思議なもので、日が暮れて部屋も少し暗くなって外の音も静まりかえる頃、この真空管の光りとともに音楽を聴くと、なんとも滑らかで優しい音に聞こえてくる(気がしているだけか?)。レコードもターンテーブルの上で回る溝をカートリッジの針がトレースしているという現象を見ている事で、何か別な要素が働いて「いい音だなぁ」なんて感じているのかもしれない。

まあ所詮「いい音」とは主観の問題なので、絶対的価値は限定はできない。ミュージシャンにとっての現場の音、楽器と楽器の音が同じ空間で融け合う感覚にかなうものは無く、いい音よりもいい音楽を見極める方がはるかに大事な感覚な訳だが、ついついこの真空管によって再生される音にはなにか特別な想いを込めてしまう自分がもどかしい。

2014年1月9日木曜日

東北農民管弦楽団

今日の日本経済新聞朝刊にこんな記事が。(これって勝手に転載しちゃいかんのかな?)

宮沢賢治は「農民芸術概論綱要」で農村文化の創造を提唱し、羅須地人教会を設立。レコードの鑑賞会、子供向けに童話の朗読会等を行っていた。自身は農民の楽団結成を目指しチェロを練習していたほど。そんな賢治の没後80年に「農民楽団」の結成という話である。しかも東北地方で。

数日前だったかやはり日経新聞に、世界中のお医者さんが作るオーケストラの記事が載っていた。イメージではさぞかし緻密な音がしそうだが、はたして農業に従事する人達だけのオーケストラというだけで、どんな音がするのかちょっと聞いてみたい、というか一緒に演奏に参加してもみたいと思ったり。

決して楽な仕事ではない農業に従事しながら、いったいいつ練習しているのかとか、合奏の練習をどう都合しているのかとか、余計な事まで想像してしまうが、有志が集まればそんな苦労はなんともないのだろう、やはり音楽の力に、合奏の喜びに支えられ熱中さえできるのだと思う。なんとも素晴らしい事である。

賢治が夢に描いた事がやっと実現する、しかしTPP問題やら日本の農業は難しい局面に立たされているのも事実。音楽を通じて人が集うことで復興を含めあらゆる問題を乗り越えるキッカケになって欲しい。

2014年1月7日火曜日

七草粥

毎年1月7日には新年の無病息災を祈り七草粥をいただく。いや、それほど大げさなことでも無く、正月の祝膳、祝酒で疲れた胃を休めるためにいただく感じだろうか。

春の七草、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。なかなか覚えられないが、スズナはかぶ、スズシロは大根、あと馴染みのあるのはセリ、ナズナといったところか。今では三が日が過ぎるとマーケットで七草パックが売られ簡単に手に入る。

なんとも言えない苦み、香り、えぐ味があって、ホントに身体がきれいになるような気がするから不思議だ。昔の人はよくこんな食べ物を考えたものだと感心しきり。正月気分にきっちりけじめがつく感じもいい。

今年は年末年始と親類が家に来たり、4日には友人を訪ねたり、運動したりメリハリのある正月だった。酒も元旦と4日にしっかり呑んだが、呑んで食べて寝てというループにはまらないで過ごした。

今年は酒との付き合い方を変えられそうな予感が。まあ家にいれば晩酌は習慣、仕事で地方へ行ったりすればかなり呑む。しかし歳とともに飲める量は徐々に減りつつある。まあ休みでも昼から呑むようなことはしないが、毎晩の摂取量を考えるとどうも飲み過ぎだろっ、と。特別な行事や仕事の区切りにはどうしても飲みたくなるが、ただ習慣で飲んでしまうのは如何なものかと感じるようになった。今年の目標?といったら大げさだが、酒の飲み方もメリハリをもたせて、二日酔いで次の日半日何もできないなんて事にならないよう気をつけたい。

2014年1月4日土曜日

初ライド

正月の過ごし方も毎年いろいろで、近年は元旦朝からおせち料理食べて呑んで寝て、また食べて呑んで寝てというパターンはあまりやらなくなったかな。元旦だけはのんびりするけれど、2日からはできるだけアクティヴに過ごす傾向にある。

昨日3日は、学生時代からの友人2人が房総をサイクリングしたいというので、南房総を案内した。

元旦からオオニシが吹き、天候が心配されたが、この日は風も無く穏やかな一日に。絶好のサイクリング日和。しかし50半ばのオッサン達のサイクリング、みんな自転車好きなのだが、普段乗り込んでいるわけではないので、果たしてどうなるのやら。みんなのペースを見ながらコースを考えつつ、休憩、食事などできるだけ余裕のある行程をとることに。

まずはみんなのアクセスを考慮して午前8時に金谷港に集合出発。午前中は半島西側を南下、洲崎からフラワーラインを通って白浜へ、そしてグリーンラインを北上、三芳~平群から長狭街道、保田へでて金谷へ戻るというコース。前半平地を走り、午後から起伏のあるコースをとった。

普段独りでトレーニングモードで走っているのとは違って、のんびりサイクリングではあるが、みんなと走るのは楽しい。休憩を小まめにとっては、景色を楽しみながら世間話などして徐々に距離をかせいでいく。房総山岳地帯?に入り坂の連続となるとそのペースはぐっと落ちるが、それでも無理せずゆっくり進む。

ゴール手前で一人パンクに見舞われたが、それでも午後4時半、金谷港へ戻ってきた。総走行距離106km。みんなは滅多に100km以上走ることがないというので、ちょっとお疲れの様子だったが、日の入りとともに解散となった。この歳になって日の出から日の入りまで外で遊ぶということ自体、なかなか機会は無いが、以前は日本中一緒に沢を登ったり、釣をしたりとアクティヴに動きまくった仲間なので、つい童心にかえった気分で楽しい時間が過ぎる。

みんなの仕事の都合など考えるとお正月は休みも多く、集まりやすい。正月に身体を動かせば、また今年も日々アクティヴに元気に生活できるという気分にもなった。

2014年1月1日水曜日

謹賀新年

明けましておめでとうございます

皆様のご多幸とご健勝をお祈り申し上げます


南房総内陸の山間に「畑(はた)」という部落がある
その部落で盛んに栽培される千両、赤い実をつけ、正月の縁起物とされる
その花言葉は「富貴」や「恵 まれた才能」とある
我が家では毎年暮れに花束のような千両をいただく
正月の風情をぐっと引き立ててくれる
花言葉にあやかりたいものである

本年もよろしくお願いいたします

2014年 元旦