2016年3月25日金曜日

シシ肉

昨年秋くらいからだろうか、我が家の周りの田畑にイノシシが頻繁で出るようになって、作物にも被害が出始めた。自分の畑は今のところ大丈夫だが、畑 を横切った大きな足跡を何度か見ている。多くは田んぼの畦のふちの湿った土を掘り返すことが多く、ミミズを食べているのだとか・・・。しかしその様子は機 械で土を掘り起こしたんじゃないかという程、容赦ない仕業である。

この辺りでは鉄砲で狩りをする人もいるが、獣害に悩む自治体は1頭当たりに捕獲報償金を出すところも多く、随分前に千倉では一頭7千円と聞いたことがあるが、自治体によっては2万円とも。しかし捕獲されたイノシシの9割は埋めて処分され、肉は利用されていないという。

ところが最近、人づてにこの捕獲されたイノシシのお裾分けをいただけるようになった。それも奇麗に処理され冷凍された状態で。写真の肉全部で1.5kgく らいだろうか。これを半解凍して一度に食べる分だけ包丁で捌いて、料理はもっぱら味噌仕立ての牡丹鍋に。シシ肉はで良質のタンパク源で、柔らかくはないが 味は独特な旨さがあって、脂身もプリッとしてひつこくなくコラーゲンが豊か。多分新鮮な状態で捌かれているのだろう、アクも全く出ず臭いもしない。捕獲量 が安定しないのか、マーケットに出回ることは無い。獣害は頭の痛い問題だが、これも田舎ならでは恵みと思い、ありがたくいただく。

2016年3月18日金曜日

春到来 ! !

彼岸の入りから、いよいよ春到来という陽気に。今日も暖かく天気が良い。

久しぶりにタマネギ畑の様子を見に行ったら、既に大きく膨らんだものが数個。これは極早生種で、このままかじりついても甘くて美味しい。このあと早生種へと順を追って収穫が進み、冬前までマーケットでタマネギを買うことは無い。

いよいよ畑仕事も忙しい季節になってくる。そして雑草との戦いも冬前まで続く。

2016年3月13日日曜日

ミツバチの越冬

温暖な気候から花の栽培が盛んな事が要因なのだろうか、南房総には養蜂場が多い。というかここに住むまで「養蜂とは別世界の事」の様に思っていた。ところが各所に養蜂場があり、ハチミツの直売もやっているので、それまであまり食さなかったハチミツを食べる習慣がついた。直売されているハチミツは加熱されていないので特に美味しいのだとか。

さて、この写真はそんな環境を活かして、東北地方の養蜂家が厳しい冬を避けるため、ミツバチ群をこの南房総に一時避難させているの図。普段ここは雑草地だが、冬前に草を刈り受け入れ態勢を整える。そして或る日このように巣箱がずらりと並ぶ。写真には写らないが、今日も巣箱の周りをミツバチが飛び回る。冬の間もハチミツを作るのだろうか?そして東北に春が来る頃、人知れずこの巣箱は姿を消すのである。自分にとってこの地の冬の風物詩。

2016年3月12日土曜日

春、すぐそこ

午前中ひとっ走り、平砂浦(へいさうら)フラワーライン。房総半島南端を平砂浦ビーチに沿って東西に走る約6kmの道。季節を先取りするように道両 脇を菜の花が咲き乱れるが、これも多分今週末までかな。既にコース半分の菜の花は刈り取られ、違う花の植え付けが始まっている。

昨日は日中も冷え込んだが、今日は天気が良くなっていく分暖かい。でも北風が強く冬の装備で走る。菜の花は春を象徴するイメージだけど、この菜の花が刈り取られると本格的に暖かくなるのか。

2016年3月6日日曜日

出雲講演?!

 金曜日、2月の熊野行に続いて今月は出雲へ。この日は須佐神社へ。樹齢1300年とも言われる大杉、最近パワースポットとして訪れる人も多いのだとか。ん〜、確かになにやらエナジーが伝わってきて歴史的ロマンに想いを馳せる。

やはり出雲という所は熊野にも似て、河と山、そこに広がる地形がいかにも神々しい土地であると改めて感じさせられる。


そして土曜日、今回出雲を訪れた目的はこれっ!! 友人であり、出雲をベースに積極的に音楽活動をしているシンガーソングライターの白築純さんの計らいで、なんとJA出雲のイヴェントでの講演を企画してくれた。

演題は「土の上から生まれる食と音 ~田舎暮らしの心地よいリズム~」というもの。白築純さんとタイコひとつで"安来節"のセッションなど交えて、普段ライヴのMCで曲に対する想いなどを話している事をひとまとめにした内容。このイヴェントの参加者は650人、講演を聴いてくれる人はその半分と見ても300人以上。僕のことを何も知らない人達が相手なので少々緊張したがなんとか時間いっぱい話しをした。


あくまで個人的な感想だが、言葉で想いを伝えるという行為はイメージが限定的になり、それだけ論点を絞り込んでおかないと内容がボヤけてしまう。そしてそれを多くの人に伝えるのはなかなか難しいと。音を奏でる行為は、想いを受け手の自由なイメージに委ねられる分、人の心に入っていきやすいのかなとも思う。しかし「話す」にしても「奏でる」にしても、「説得力」という力は存在するハズ。人とのコミュニケーションについていろいろ考えさせられ、課題も見つかった貴重な体験ができた。関係者の皆様、ありがとうございました。